2011/11/12

冠婚葬祭のひみつ

先日、未来の二つの顔 (創元SF文庫)を読み終わったので、母親から借りている本10冊くらいの中から適当に見繕って読んでいた。ここ数日風邪でダウンしていたので本を消化していたわけです。

で、その中に掲題の本があった。 これ面白い(笑)母親からも「これ面白いから読んでみ」ってことだった。まだ読み終わったわけではないけど頭っから掴みはOK。「へぇーへぇー」状態。

冒頭は結婚式についての話から入るんだけど、神前式のルーツは意外に新しくて明治33年に行われた、後の大正天皇の結婚式からというお話。当時は日清戦争と日露戦争の間の年で、国としては「神の国」のイメージを固め、富国強兵を推し進めたいという背景からだそう。
かといって、神前式の前は仏前式だったかというとそうでもなく、そもそも仏教的には開祖が妻帯者(親鸞)だった浄土真宗以外は出家者の結婚なんてもっての外だったらしい。なるほど。僧侶の妻帯が認められたのは明治以降だという。なんと仏前式の歴史もそうとう短いぞ。
じゃあ、寺は葬式だけやってたのか?というとそうではなく、江戸時代以前の寺は「葬式?んなもん在家にやらしときゃいんだよ」というスタンスだったらしく、葬式にも大して関わっていなかったんだって。(じゃあ何してたの?)

江戸時代以前は僧侶もフリーランスが多かったらしい。江戸時代に入ってからキリシタンの取締が強化され、寺が周辺住民の管理を行う役所みたいな役割を担うようになる。どこそこの誰々は○○寺の門徒(つまりキリシタンではないことの証明)、というような住民台帳ようなもの(宗門人別帳)の管理をするようになった。
で、これ以降、寺が葬式に関わるようになる。地域の寺にはそれぞれ本寺(本家的なもの)があり、定期的に上納金を払わないといけないわけ。で、地域の寺はどこからそのお金を集めるかというと、自分たちの下のヒエラルキーに位置する門徒。建前として仏壇や位牌や戒名という制度ができて、葬式と定期的な先祖供養を寺が行うんだから手数料と謝礼払うのは当然だよね?仏壇も買うよね?戒名ないとあの世でどんな目に合うかわかってる?という搾取システムができあがったんだと。面白ぇー。

これが冒頭。

以前から結婚式や葬式に対してモヤモヤした感覚があった。
新郎新婦ですらよく知らない、政治的な理由で出席しているどこの誰かわからない社会的地位だけは高い小汚いおっさんの超絶つまらん話をえんえん聞かされ、出席者の中に友人が少ないなーと思って聞いてみるとこれまた新郎新婦本人たちとは直接関係のないところの事情でわけのわからん老人たちがたくさん出席するため友人の招待を減らしたとかいう誰のためかわからない結婚式。
葬式は葬式で、「故人とはそんなに交流なかったけど、こないといけない気がした」みたいなアホ面下げた参列者がたくさんいる通夜。談笑ばかりしてたいして悲しそうでもない葬儀参列者。なんだんだ?と思っていたので、結婚式はともかく、葬式は本心から「故人に最後のお別れをしたい」と思える人の葬儀にだけ出席するようにしていた。それも最近は少し考えが変わって、行けば遺族が喜んでくれそうな場合は行くようにしようかなーと思うようになった。

話がそれた気がした。この本は、そういった感覚に何か裏付けを与えてくれそうな気がしたという話。

目次

  • 第1章 冠婚葬祭の百年
    • 明治の家と冠婚葬祭
    • 昭和の結婚と優生思想
    • 「冠婚葬祭入門」とその時代
    • 少婚多死の時代を迎えて
  • 第2章 いまどきの結婚
    • 今日的ウェディング狂想曲
    • 結婚式に招待されたら
    • 多様化する結婚の形
    • 変容する通過儀礼
  • 第3章 葬送のこれから
    • 現代葬儀の基礎知識
    • 死の準備はどこまで必要か
    • 身近な人の死に際して
    • 遺骨のゆくえ
  • もっと知りたい人のためのブックガイド


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そういえば読み終わってから感想書いてなかった。すごくおもしろかったので書こう。

冠婚葬祭のひみつ (岩波新書)

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